ブリューゲル作「農民の踊り」とは?意味を知る前後で印象が変わる名画を解説

西洋美術


今回は16世紀におけるネーデルラント最大の画家、ピーテル・ブリューゲルが1568年頃に描いた絵画である「 農民の踊り」をご紹介します。

ブリューゲル作「農民の踊り」
所蔵 美術史美術館、ウィーン

ブリューゲル作「農民の踊り」の作品背景

ピーテル・ブリューゲルは、生年や生誕地について詳しいことは分かっていませんが、現在のオランダかベルギーで生まれたのではないかと言われています。

ピーテル・ブリューゲルは、工房で画家としての訓練を受けてその技術を学んでいきます。そして、イタリア旅行を終えてネーデルラントに帰国した後、画業に専念して画家として大成することになります。

ネーデルラントとは、「低地の国々」を意味し、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国にあたります。

※出典元:Wikipedia

ピーテル・ブリューゲルは、農村の生き生きとした情景を、愛情と皮肉を込めた観察力で描いていたため、「農民ブリューゲル」とあだ名されるほどでした。ちなみに、ブリューゲルは同名の長男と区別するため、「ブリューゲル(父)」や「ピーテル・ブリューゲル1世」と表記されます。今回の記事では、単に「ブリューゲル」と表記しています。

ブリューゲルの絵は今回紹介する「農民の踊り」のように、当時の素朴な農民たちを描き出した作品が数多く存在します。

これらの作品を見ると、当時の人々はお祝い事などのイベントがある日には、明るく楽しく
過ごしていて、少し羨ましくも思えてきますね。

ブリューゲルが生きた激動の時代

ところが、ブリューゲルが生きた時代は、ネーデルラントにとって激動の時代でした。
なぜなら、それまで絶対の権威であったカトリック教会に対して、反発する動きが活発になったからです。

また、政治的にも不安定な状態を迎えます。当時、ネーデルラントはスペインのハプスブルク家によって統治されていました。しかし、中央集権体制下で地域の自由を制限する手法が反感を買うようになり、特に上流階級の間で次第に抵抗するようになっていきます。

この政治的不満とカトリック教会に対する不満が混じりあい、カトリック教会に抗議するプロテスタントが蜂起しました。その結果、ブリューゲルがいたネーデルラントは、北ネーデルラントと南ネーデルラントに分離することになってしまいます。

さらにこの時代は、気候変動による寒冷化である「小氷河期」にあたります。小氷河期の期間は14世紀半ば頃から19世紀半ば頃まで続いたとされ、中でも最も過酷だったのが1560〜1660年と言われていて、まさにブリューゲルが生きた時代の真っただ中でした。

小氷河期の到来によって寒い冬が長期間続き、思うように農作物が育たなくなります。そのため、食料が不足するようになり、このことが原因で飢饉や貧困、暴動が発生します。

このような不安定な社会情勢は、芸術家達にも大きな影響を与えることになります。
もちろん、ブリューゲルも影響を大きく受けていて、「死」「破壊」「暴力」「貧困」といったキーワードが直接的に、あるいは間接的に作品の中に含まれることになりました。

そのため、ブリューゲルの作品を鑑賞する際は、細部までじっくりと観てみることをおすすめします。きっと思わぬ発見があるはずです。そして、その発見によって最初に絵を見たときと、全く違う印象を抱くこともブリューゲルの作品を楽しむ方法の一つだと言えるのではないでしょうか。

ブリューゲル作「農民の踊り」の解説

この作品はブリューゲル晩年のものであり、人物が大きく描写されているモニュメンタル的な構成はイタリア絵画でよく見られる技法です。また、この作品は他に農民を描いた『農民の婚宴』『婚宴の踊り』と三部作であると考えられています。
それでは、実際にブリューゲルの作品である「農民の踊り」を見ていきたいと思います。

「農民の踊り」の全体解説

所蔵 美術史美術館、ウィーン

この作品を一目見た印象としては、「何だか楽しそう」と思った方も多いのではないでしょうか。しかし、「農民の踊り」で描かれているこの場面、実は諸聖人の日に農民がお祭り騒ぎをしている様子を表しています。

諸聖人の日とは、カトリック教会の祝日の一つで、全ての聖人と殉教者を記念する日のことです。本来であれば、教会でミサをあげたり死者を悼むのですが、農民たちはそんなことは全く意に介さず好き勝手に振舞っているのです。

そう、一見楽し気に見える「農民の踊り」は、農民が欲望のままに行動する様を皮肉を込めて戒める作品なのです。

それでは次に、「農民の踊り」の部分に注目していき、作品に込められた意味を読み解いていきましょう。

「農民の踊り」の部分解説

右端の木に掲げられている絵が見えますが、これは聖母マリアです。ところが、農民たちは誰も見向きもしていません。

また、奥に目をやると屋根の上に十字架が付いた建物が見え、教会であることが分かります。こちらも、農民は教会に背を向けたまま、踊りに夢中になっています。

左側には、バグパイプを吹いている男と水差しを持っている男がいます。水差しの中身はきっとお酒なのでしょう。水差しを持つ男の顔が赤らんでいます。

この男は黒い帽子を被っていて、孔雀の羽が付いています。孔雀の羽だなんてお洒落に感じますが、西洋絵画では孔雀の羽は虚栄心と自尊心の象徴として描かれます。

そうすると、この男はバグパイプ奏者に対して、何か自慢話をしているのかもしれませんね。ここでも、酒に酔う事や虚栄心といった、キリスト教で戒められている行為が描かれています。

また、作品の左側を見ると、お酒や食べ物を飲み食いして騒いでいる人たちがいることに気付きます。そして、少し奥には赤い帽子と服を身に付けた男と女が、人目も憚らずにキスをしています。

さらに彼らのすぐ上には、男が女を両手で家から引っ張り出している様子が見えます。通りで踊っているカップル達の輪に加わろうとしているのでしょう。

女の方は少し抵抗していますが、顔はまんざらでもないように見えるのは気のせいでしょうか。

いずれも、キリスト教で戒められている暴食、色欲といった行為を示しています。

意味が分かると印象が変わる「農民の踊り」

ブリューゲル晩年の作品である「農民の踊り」。

作品の細部に目を凝らすと、全体で見た印象と違った一面を発見できて興味深いですよね。今回紹介した作品に限らず、ブリューゲルは宗教的な寓意や皮肉を主題としてよく扱っています。

ただ、その意図が世間に対する批判一辺倒であったのかと言うと、個人的には違うように思えます。先述したようにブリューゲルの生きた時代は、貧困、暴力、飢饉そして死が日常でした。そう考えると、「農民の踊り」で描写されている農民には違和感があります。

ブリューゲルの描く農民は、皆丸々と肥えているのです。実際には多くの餓死者が出るほど食料不足に見舞われていた時代であることから考えると、不自然なように思えます。

ブリューゲルの身近にいる人の死も、きっと珍しいことではなかったのでしょう。

人の死が日常のすぐ傍にある過酷な時代を目の当たりにしたブリューゲルは、人々の信仰への軽視を戒める一方、作品中の農民のように生き生きと暮らせる時代を願っていたのかもしれませんね。

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